理想の未来を掴むために、ぼくたちができること | インキャ、コミュ障の『負けない戦略』研究所

インキャ、コミュ障の『負けない戦略』研究所

元は超がつくほどのコミュ障、いわゆるインキャ。
対人関係が苦手で、ゲームに走ったり

起業は単騎じゃ無理だと悟り、
「広告」スキルを買われ参謀に。
そんな逃げ症の持ち主。

そんな僕でも、「幸せ」になれる確信を持てた。
体験を交えて伝えていきます。

どうも、しんです。

今回は、
ぼくたちが「24時間気持ちがいいな」と感じられる日常、

 

つまり、

理想の未来を掴むため
「予測と現実のギャップ」を埋めるために必要な情報を
なぜか得られない、見出だせない理由について話を進めます。



結論を言うと、
予測と現実のギャップが生まれる理由は、
「変動する要素」を盛り込んで予測するか、否かです。

変動する要素とは、
自分でコントロールできない現象のことです。

例えば、
天気や自然現象が最たるものです。

仲間とBBQをする予定を立てていても、
雨で中止になった時、
雨が降るであろう日にBBQを予定したこと」に原因があります。

(厳しい表現かもしれませんが)

 




事前に雨の予報を考慮すれば、
「雨でも平気な場所」に行くという選択をしただろうし、
もしくは、
BBQを延期する、という選択をした可能性もゼロではありません。


今回は分かりやすい例ですが、
予定を立てて、
BBQ当日の「予測」を立てる時に、

天気など「変動する要素」をどれだけ盛り込めるかどうかで、
狙った通りの愉しいBBQができるか、
雨でテンションが下がる日常に分かれる、ということです。


その変動する要素までアンテナを立てて、情報収集するかどうかで、
心地よい日常か、心地よくない日常かを左右する、
ということを今回の記事で感じてもらいたいと思います。


1.ぼくが「予想」ではなく、「予測」と表現した理由

その理由は、
根拠の有無であり、
違和感なく、気持ちがいいと感じる日常を手にれる精度が
段違いだからです。

予想は、
単に「こうなるだろう」という『主観』に想像して見当をつけることを指して、

予測は、
物事の成り行きや結果について、前もってある程度の『根拠』を元にして推し量ることを指します。

この違いを考えると、
「気持ちがいい、違和感のない日常」を自分の手で創り上げるためには、
予測じゃないと、なし得ないことを感じてもらえると思います。


つまり、
根拠のない「予想」程度では、
「気持ちいい日常」ではなく、
「運任せ」と言っても過言ではないということです。

そして、その「予測」の「ある程度の根拠を元にして」の「ある程度」の精度が
予測と現実のギャップを埋めるために必要になるわけですね。

予測しうる「ある程度」の中にある判断材料の中には、
先程、例に挙げた天気など
変動する要素があって、
そこを把握することが予測の精度を高める大事な要素になります。

変動する要素を含めた予測の精度を高めるからこそ、
「運任せ」から、

 

全てのデータを握った上で、
「ほーら」と言わんばかりの結果が出るよう
ベスト中のベストの現実を手繰り寄せる可能性が高まるということです。

つまり、「ある程度の根拠」ではなく、
「完璧な根拠」に近づけていこうよ、

というのが、今回の記事でお届けしたいことです。


2.これまでぼくが「予測」だと思っていたけれど、「予想」でしかないと感じたこと

ぼくが夢中になれる広告が
狙った感情や行動を起こすかどうか、の精度

平たく言えば、
広告を通して、何を感じて、
問い合わせや、メールアドレスの登録や、LINE@の登録など、

どう行動するか予測してズレていないか、
ぼくにとって「いい広告の定義」とは何か、と考えていたことがあります。


ぼくが思う「いい広告」とは、
相手が実際に行動を起こしちゃって、未来の仲間候補として、
コミュニティに参加する広告です。


賛否両論はあるかと思いますが、
ぼくにとってはそれが答えでした。


いい広告を体現するために
広告文
単語
言葉
色など、


必要な人にだけ広告を打つための設定など
リアルでのコミュニティを創るために、
ネット上のコミュニティを形成しました。

かつては、
「答えは市場が持っている」から、
まずは広告を出せばいい。

と考え、
広告文や、色や、言葉、単語のキワまで思考せず、
テスト改善のスピートと量にこだわりを感じていました。

当時の師匠の教えの第1条が
『愚直なスピードと実践量』
と教わっていたことも相まって、

「早くテストしなきゃ」と、
思考パターンが固定化されてきたように感じます。



とはいえ、その中ででも
「いい広告」だと見てもらわないといけない、とは考えていました。

世の中をより良くするために、
役に立つ商品・サービスを広める者として、

言い換えると、
いい広告であると、「相手に思わせる=人の行動を動かす」
ということを仮説検証していたからこそ、

ぼくの広告が、相手が気持ちよく行動してしまう、という美学を磨き上げて、
予想でしかなかった、ぼくの広告の質に向き合うことができました。

なぜかというと、
夢中だったからこそ、
予想でしかない自分に気づけた、ということです。


適当に広告に向き合っていたとしたなら、
狙った結果を得られなくて、
あっさり諦めてしまい、
予測できない自分に向き合うことが出来なかったと思います。

予測が予想だと感じたきっかけは、
大量の広告テストを行った結果、
広告の無駄打ちが非常に多かったことに気づきました。

なぜ、こんな広告を打ったんだ、、と感じる広告も存在していました。

正直、やっちまったと後悔しました。



「テストしたから」という一言で片付けることもできましたが、
そんな言い訳はぼくの美学に反していました。

広告は「大量のテスト改善する」もの。
ロードローラー作戦をするのが当然。

という思い込みであり、
その思考が、相手の心情を度外視していたということです。


思考が雑であれば、
相手が行動するかどうか、精度が雑になるのも当然です。

相手のことを考えていない「広告」では、
誰でもあっても行動するはずがありません。

理由は、
「答えは市場にある」
という考えに腰掛けて、

雑な広告を打つことは、
「怠惰」だということです。


パソコンの向こう側にいる、相手の心情を汲み取って
どんな言葉、単語が響くのか
キワのキワまで考える必要がありました。

だから、
「いい広告」の定義を思い出しました。

相手がどう思考して、どんな感情で行動するか、に目を向けて、
相手以上に相手の理想の未来はこうであろう、と予測
し、
広告を打ちました。



どうして、予測ができたかというと、
社会性から、他者と比較され続け、
顔色を伺うような人の思考が
ぼく自身そうだったからからです。

ぼくの経験が、「いい広告」の定義を体現するために
相手の心情を汲み取る、ということが必要だと痛感しました。

結果的に、事業仲間として
共同生活をする人も
ぼくの広告を通して集まった
ことから、
とても貴重な体験をしています。

単にいい広告を打つという観点だけでは、
到底たどり着けない視点で広告を認識することができました。


「相手の心情」という変動する要素を、
分からないから、とりあえずテストする。と、
「分からないことを分からないまま」に放置せず、


相手の行動、感情、過去の積み上げ、相手が描く理想像などを根拠にして、
いい広告を体現するための「予測」をすることが出来るようになりました。

そして、
「相手の心情」を予測して、広告を打てるようになったから、
結果として、
自分の想いが浸透する「気持ちがいい日常」を引き寄せることができました。



3.自分の想いが浸透する広告を打てるようになった結果

すると、日常生活においても、
相手の心情を察して、
相手の顔色を伺うこと無く、
会話をすることができるようになりました。

つまり、
相手を動かしてやろうという、自己満足の広告を打っていた「独りよがりのぼく」から
妥協の二文字無しに相手に踏み込んで
相手が考える以上の相手の理想の未来を魅せることができるようになりました。

結果的に、
相手もぼくの気持ちや感情を汲み取ってくれるようになり、
自分の思い通りに「気持ちがいい時間」を過ごせることができたんです。

つまり、
気持ちがいい日常を
「広告」以外でも体現することができました。

 




自己満足で終わっていたぼくでは、
広告や事業に触れている時間でないと、
自分は存在価値がなく、
相手の顔色を伺うことしかできないと感じていました。

けれど、
「人の心情」という変動する要素を
「分からないことを分からないまま」に放置し、

居心地が悪かったら、その場から逃げて、人と距離感を取っていたから、
対人関係、コミュニケーションを取ることが苦手になってしまっていたんだ、
と気づくことができました。


ぼくが広告や日常生活で、
「人の心情」という変動する要素を
盛り込んで予測を立てながら、

事業や広告や、会話を通して気づいたことがあります。

『全ては思い込みから現実ができているんだな』と。


広告も日常会話も抽象的に見れば、
「自分の想い、心を相手に届ける」ことであり、

「相手が受け取りたくなる言葉」であれば、
相手は喜んで行動します。

そう考えれば、
子育てだったり、
小説だったり、
ダンスだったり、
料理だったり、
絵画だったり、
釣りだったり、

相手の心を予測して、言葉や身振り手振りで表現することで、
全て「自分の想い、心を届けて、相手が喜んで行動しちゃう」とするなら、
全てが「思い込みと一緒である」という観点を得ることができました。


しかし、
思い込みか!だから考え方を変えよう!

 

と感じ取ったとして、
頭では理解できても、
行動に移せないジレンマ
を抱える人は、
少なくないと思います。

ぼく自身もそうでしたし。笑

ぼくが大切にして欲しいのは、
「予測」を立てて、気持ちがいい日常を手に入れるには、
変動する要素も含めた、全ての情報を握りに行く覚悟が必要であり、

その「全て」の精度が、「予測の精度」に繋がっていることを感じて欲しいんです。

次回の記事では、
「なぜ、予測を立てるために
 全ての情報を握ることができないのか?」
という視点で話を進めます。

平たく言うと、ぼくたちが「予測の精度」を上げるために、
必要な情報を得ようとしていないこと、

また、予測の精度が低くて、
「予想」に成り下がる
ことが多々あります。


そもそも論で、
家族や仲間や職場の人の心情や、
天気など変動する要素など、

毎回「同じ正解」は存在しないわけです。

ここを踏まえた上で、
しっかりと次章も読み進めてください。
「仕事や日常を「運任せ」から「計画通り」にする」


ここまで読んでいただき、
ありがとうございます。