本音で話すことに対する恐怖の正体 | インキャ、コミュ障の『負けない戦略』研究所

インキャ、コミュ障の『負けない戦略』研究所

元は超がつくほどのコミュ障、いわゆるインキャ。
対人関係が苦手で、ゲームに走ったり

起業は単騎じゃ無理だと悟り、
「広告」スキルを買われ参謀に。
そんな逃げ症の持ち主。

そんな僕でも、「幸せ」になれる確信を持てた。
体験を交えて伝えていきます。

どうも、しんです。

今回は、
ぼくたちが24時間「気持ちいい」と言える日常を創り上げるために必要な
価値観を共にする仲間を得る」ということについて、
話を進めたいと思います。


これから、創り上げる日常とは、
「理想の未来」です。

その未来に必要なのは、
自分と他者であり、

「あ、この人好きだなー」と感じる人と、

いかに関わり、過ごせるかで、
理想なのか、そうでないのか、が決まると言えます。


なぜかというと
日常とは、「時間」ではなく、
「誰と関わり、誰と過ごすのか」で構成されているからです。

つまり、
「気持ちいい日常」は、
「あ、この人好きだなー」と感じる人と
関わり、過ごせるかが重要になります。

そう考えると、
ぼくたちの日常をいかにして、「気持ちいい」と言えるものにできるのかというと、

プライベートも、仕事も
全ての時間で、

「あ、この人好きだなー」と感じれる人と

関わり、過ごすことで、
「気持ちいい日常」を創り上げることが
できるかどうかが重要と言えます。


気持ちいいと言える日常は、

結局、1人では創り上げることはできません。

 



「創り上げる」ということは、工程が必要であり、
それを自分1人で作り上げるのは、
どう考えたって、
「非効率」です。

なぜかと言うと、
1人に与えられた時間は、
1日24時間、365日、
寿命で約100年という期限があるからです。

「1人では日常を作れない」と言葉にすると

どうしても、「お金があれば」、「時間があれば」と考えちゃうわけですが、

「お金」があっても、
サービスを提供してくれる人が
いなければ、当然、何も手に入りません。

「時間」があっても、
仲間と呼べる人がいなければ、
当然、仲間を見出すための生き方や行動を起こす必要があります。

ここについては、わざわざ言葉にしなくても、
どこか共通認識なのかとぼくは思います。


でも、
実際行動に起こしてみると、
都合の良さを求め、
自分「が」楽しめて、気持ちいい瞬間を求める傾向があります。

それが、
人気
お金
ブランド
いいねの数

いわゆる
承認欲求や、
自己顕示欲を満たすことです。

そう考えると、
多くの人が、
自分『が』満たされるために、
行動していると言えるわけです。

いかに、自分がよく見えて、
尊敬され、
認められ、
チヤホヤされるのか
そのために、日々、奔走してしまいます。

分かりやすい例が、
モテるために、ファッションに勤しむ、とか
「さすが」と言われるために、
お金を稼ぐ、などです。

その結果として、
自分の日常を彩る「相手」を
格下のように扱ったり、
「損得勘定」で選んだりして、
「自分本位の日常」を作ろうとします。


個人的には、「それって『気持ちいい日常』から逆走してない?」と思うわけです。


なぜなら、
自分「が」気持ちいいだけの日常は、
他者にとっては、「気持ちよくない日常」が広がるからです。

自分が「格上」と感じて、優越感に浸る瞬間に、
相手自身は格下だと感じて劣等感に包まれてしまうわけですから、
「自分『が』気持ちいい日常」を求める限り、
相手の「気持ちいい日常」を削り取ってしまってる、とも言えます。

で、その状態では、自分の日常を考えた時に
「気持ちいい」と言える瞬間を、創り続けることって無理に等しいとぼくは思います。

だから、必要になるのは、
自分も相手も当然として、
「気持ちいい」と言える日常を、『共に』創り上げること、です。

それ無き未来に、
24時間気持ちいい、と言える日常は、永遠に創り出せない、と言えます。



とはいえ、
自分が好きだと思える人じゃないと、
「共に未来を作りたい」とは、
感じられないわけで、、、、

そこで必要になるのが、
関わる人、過ごす人を選ぶ「基準」になります。

結論を言えば、
「価値観で共鳴する人」ですね。

もっというと
「本音を伝えるほどに信頼関係が強くなる人」です。
「それは理解できる、『でも、、、』」と多くの人が、言います

確かに、
外見
学歴
収入
(都合が)良い性格

これら全てが「普通」なら、
関わる人を選ぶ基準であり、
過ごしたくなる基準である、ことは「理解」出来ます

ただ、ですね、
個人的には、「共感」は出来ないわけです。

だって、
離婚
退職
仲違い
人の関わりが切れる瞬間には、いつも
「価値観のズレ」という背景があります。


つまり、
どんなに「損得」があって、
自分のステータスになるような相手と関わっても
価値観が共鳴していない時点で、
「関わりの終わり」が始まっているに過ぎないと感じるから
理解はできても、共感はできない、と感じるんですね。

ということで、これからぼくたちが
24時間気持ちいいと言える日常を
仲間と共に、創り出せるような自分になっていくためにも、

「価値観を共にした仲間」をどのように捉えて、
どのようにすれば、繋がり、共に未来を創造できるのか、
について、話を進めていきたいと思います。


仕事だと思うから、仲間を切り捨てていた
ぼくがこれまで、
仲間だと認識する基準にしていたのは、
「能力」の有無でした。

つまり、
損得勘定で相手を査定して、
ぼくが考える基準以上の人なら関わる、
という考えで、関わる人を決めていたわけです。

ぼくは、
会社員から独立として、個人事業主として事業を手掛けています。

1人では限界があると感じていたため、
仲間がいる状態で、事業を始めました。

ただ、当時のぼくは事業をするなら、「能力」がないとダメでしょ、
というスタンスから、ある一定の基準値を設けていました。

その基準値に満たない仲間は、
自然と離れてしまうような、素っ気ない態度を取り、
強い者だけが残るチームを創ろうとしていました。

ある意味、仲間を「切り捨てていた」とも言えます。

ぼくが「強いチームの創るんだ」という正義を履き違えていて、
悦を感じていた側面もあります。

本当に、仕事しか見ていないくて、
仲間、もとい人の心情を度外視し、
対人関係が苦手なるのは、
ある意味当然とも言えます。

だから、当時のぼくは、
人とのコミュニケーションが極度に苦手でした。

そして、
人とのコミュニケーションが苦手だからと、何かに理由をつけて避け、
当たり障りのない会話や
事業の話だけするように努めていました。

結果として、
本音をぶつけたり、
何気ない日常の会話が億劫になって、
当たり障りのない会話しかできないようになっていました。


本音をぶつけることに「恐怖を感じる」理由

事業を始めた時に感じていた、

「能力なき仲間は切り捨てる」
「何も言わない方が相手のため」

つまり、仲間は損得勘定でしかないと感じていたぼくが、
気持ちいい日常を創るために、

「仲間は切り捨てるのはなく、共に創造できるまで待つことが必要だ」と断言できるほと、
変わったきっかけがありました。

それは何気ない日常会話でした。


ぼくは今、事業仲間と共同生活をしています。

そこで、休憩時間に仲間と会話していて、

何度教えても、伝えても理解できなくて仕事で前に進めない仲間がいました。

手を変え、品を変え、
どうにか伝わらないかと模索していましたが、

ついに、ぼくがしびれを切らしてしまい、
「分かったつもりで進めるから、分からないままなんだよ」と
ド直球な発言をしてしまい、
仲間を泣かせてしまいました。


事が収まった後、
ぼくは一人で、散歩をしに外に出て、
「何でこんな伝え方しかできないんだ、、」と悔し涙を流しました。

 



でも、その後仲間が
「本当にそうだった。次から分からないことがあったら、分かるまで質問する」と
返してくれたのが、少しばかり救われました。

ここで言いたいことは、
「丸く収まってよかったね。」
ということではありません。


なぜ、本音を言えなかったかと言うと、
相手に踏み込んでしまって、
嫌われるんじゃないかと恐怖を感じていました。

でも、その恐怖は、
踏み込んだ後にリカバリーができる自信がないことが最大の原因です。

「仲間を切り捨てる」選択をしてきた当時のぼくには、
リカバリーをするという発想がありませんでした。
今思えば、お恥ずかしい話です。

けど、実際に踏み込んで言ってしまっても、
適切な声掛けをすれば、
自分から仲間とともに
「気持ちいい日常」を創り上げることができるんだと体感しました。

その上で、「価値観が共鳴した仲間」が必要だと痛感しました。


だから、ぼくたちが「気持ちいい日常」を創り上げるために、
「価値観が共鳴した仲間」と
「本音を伝え合える関係」を築くことが

重要ということをお届けしました。
今回お伝えした
日常会話だけでなく、
ぼくが仲間と共にする日常は、
「日々、成長する時間」です。

でも、
どうやったら、
「本音をぶつけ合える関係になるのか」という疑問が残りますよね。

そこで必須になるのが、
「本音を伝える相手の未来」を考えて
本音を考える、ということです。

本来、本音とは、
利己的で、自分都合であることが「普通」だと思います。

ですが、
ぼくが仲間と共にする日常における「本音」は、
お互いが、相手の人生を最高のものにする、という確信を持った上で伝えられます。

本音を伝えられた人が、「自分の人生を最高にするための言葉」だと感じるからこそ、
結果として、
本音が伝わるわけです。

決して、「伝え方が9割」ではないし、「心理学」ではありません。
そもそもとして、
本音を伝えようとする人の心が
利己心であり、自分都合ならば、
どんなに伝え方を工夫しても、
それは相手にバレてしまいます。

だから、
本音を考える軸になるのは、
「自分も相手も最高に幸せになるための視点」です。

簡単に表現すると
「人育て」の視点、ということですね。


本音にも「伝えるタイミング」が存在します。

それは、感情的に、本音を伝えるだけでは
絶対に見抜けないタイミングです。


次回は、
気持ちいい日常を創り上げるために必要な
「価値観が共鳴した仲間」の関係を構築する
「人育ての視点」と「本音のタイミング(過剰修正効果)」について、
お届けします。

次の記事はこちらをクリック
本音を伝え合える関係とは